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「『シムクガマ』と『チビチリガマ』~ 避難民の命運を分けたもの」ウィークリー沖縄 Vol.19

1945年4月1日。米軍は沖縄本島に上陸。
米軍の主要揚陸ポイントとなった読谷村には、後年語り継がれる事となる「シムクガマ」「チビチリガマ」という二つの自然壕があり、そこに住民らは身を寄せ合い、息を潜めて避難していた。

「生きて虜囚の辱めを受けず」
戦陣訓を叩き込まれていた住民達は、ついに目の前に迫った米軍を前に、その教えに従おうとする。
しかし「シムクガマ」と「チビチリガマ」では、その後の運命が大きく異なる結果となってしまう。

「チビチリガマ」では、避難民約140人のうち、83人が集団自決で命を落とした。

いっぽうの「シムクガマ」では当時、約1,000人の避難民がいたが、驚くことに避難民は犠牲を出す事なく米軍に保護され、収容所で食料等の配給を受けた。

「シムクガマ」と「チビチリガマ」
この二つのガマで、一体何が命運を分けたのか。
今回のウィークリー沖縄では、その答えを探る。